自由は不自由があるからこそ特別なものになる

【したいことをしたいときに、したいだけする】

 

 

好きなものを好きな時に好きなだけ食べる

寝たい時に横になって寝たいだけねる

遊びたいことを遊びたい時に気がするまでする

 

 

いつからか、↑みたいな自由な行動って出来にくくなりますよね。

自由な行動の阻害因子は、

健康であったり、

学校や仕事(時間的制約)であったり、

社会的なモラルであったりします。

よくよく考えてみると、

本っ当ーに自由=本能のままに生きているのって、生まれて1.2年、ですよね。

そこからは、いろんな阻害因子によって制約をうけることになります。

 

 

そして今日は、

これを「不自由」、と定義しますね。

 

さきに結論を言うと、

今日のお話は、

不自由がよくない、という内容ではありません。

むしろ、

自由、は不自由があるからこそ輝ける

ということが今日の話のポイントです。

 

この世の中に不自由は一切なくて、

すべてのものが自由であったなら、、、

想像してみましょう。

なんでもしたいときに、したいことをしたいだけできる

そんな世の中であったらどうかな?

と考えてみます。

字面だけみると、ものすごく魅力的に感じますよね。

しかし、

もう少し深く考えてみます。

本当に自由だけの生活になるとどうだろう?

ずーと一生続くならどうなるんだろうと考えてみます。

 

そしたら、

自由っていうものが特別ではなくて、

当たり前な存在としてそこにある、ことに気がつくと思います。

もっとも、当事者の立場では、それすら気がつがないんだと思います。

だって、当たり前なんだもん。

世の中に不自由が存在しないならば、

 

 

自由=当たり前

 

 

そんな構図ができあがります。

そしたら、どうでしょう?

あんなに特別で楽しかった、「自由」が当たり前になったら、、、

 

当たり前の存在を果たして心から楽しめるでしょうか??

 

 

これがつまり、

物事の本質なんじゃないかと思うんです。

何かの出来事を、

当たり前

と思った時点でそれは特別ではなくなるんです。

毎日家族が作ってくれるお弁当、

仕事終わりのビール、

友達との他愛もない会話、

親がいるということ、

給料、

なんでもそうです。

私たちは、

当たり前なことを、

特別なことと同じように、

感謝したり楽しんだりできるでしょうか??

 

 

さあ、この記事をここまで読んでくれたあなたにとって、

今というこの瞬間は、

人生の分かれ目の一つです。

 

 

当たり前、

と感じているブロックを一つ取っ払って、

今という瞬間が、

今日という一日が、

現状よりも素敵な時間にキラキラ輝く時になるように!!!

当たり前、

のブロックを一つ、取っ払ってしまいましょう!

最後まで読んでくださいましてありがとうございました。

今日という一日が皆様にとって、素敵な一日になりますように!

アロハ!!