【雑談】世界平和のためにわたしには何ができるのか?

こんばんわ。ゴールドエッセンスの気ままなブログへようこそ。管理人のMOUです。

今日は、「世界平和」についての話をしようと思います。


みなさまは、「世界平和」願っていますか?

いきなり膨大な、どデカイテーマきた―――――!!って感じですよね。

けれども、とっても大切なお話だと、思うんです。


ちなみに管理人MOUは、このテーマについてディスカッションする機会がこれまで割とあった方なのだと思います。学校でももちろん学習の機会はありましたし、なんといっても大人になってからですね。職場の方や、そして違う職業の方々ともディスカッションする機会に恵まれています。

正直にいうと、学生の頃はさせられ感が満載で、自らしっかり考えて学んでいこうっていう子供ではなかったですね。なんとなく、それを考えなきゃいけないから、考える。という程度でした。。。

なので、学生の頃よりも大人になってから、このテーマでディスカッションをする機会に改めて恵まれたことが、とっても良かったと思っています。

大人になると子供の頃よりも、社会のいろんなことがずっとわかるようになっていますよね。

視野が広がった状態で、改めて人とディスカッションをすると、「あーこういう捉え方があるんだなー」とか「この考え方は素敵だなー」とか、いろんな方々の意見がバンバン自分の刺激になって、ますます自分の視野が広がっていく感じを覚えます。さらに、自分の意見をまとめて人に伝える、という行為によってもまた、改めて自分の考えを整理して理解できるようになるんですよね。この前のテーマでお話した、オートクライン、パラクライン効果ですね。


そんなこんなで、管理人MOUも、世界平和について自らの考えを少しずつ深めるに至っています。


そこで今日は、現時点での管理人MOUの、「世界平和について考えていること、世界平和のために自らができること」について、ここに書き記したいと思います。


、、、、、、話は逸れてしまいますが、

管理人MOUは、言葉やものの“定義”をとても大事にしています。それはなぜかというと、この定義が違う状態で他者とディスカッションをしても、そもそもうまい議論ができないからです。なので、他者と話すときには、まずは定義を明確にします。辞書をベースに言葉の定義を共有したうえで議論することもありますし、そもそも、物事を相手がどの様に定義(解釈)しているのか?自体をディスカッションすることも多いです。

さぁでは、ようやく本題に入りますね。

まずは世界平和っていったい何なのか?何を指すのか?を今一度振り返ってみましょう。

辞書によると、、、

世界平和とは、

戦争や飢饉などの危難がなく、みな穏やかであるさま、 世界中が平和である様子などを意味する表現、です。

ちなみに、

平和(へいわ)とは、

戦争や暴力で社会が乱れていない状態のこと、なのだそうです。


なので、世界が平和であるためには、「戦争や暴力がない世界」が条件となるわけです。

ということは、「世界平和」の最も対極にあるものは、、、「戦争」、あるいは「暴力」と考えることができますね。

そう、「戦争を起こさないようにする、暴力を振るわないようにする」が、極論私たち人類が目指すところです。

けれども、これでは、ちょっと話が大きすぎて、具体的に何をしたらいいかわかりにくいなーと管理人MOUは考えるわけです。

そこで、「世界平和のために自ら(個人)ができること」はなにか?というテーマで、

「戦争や暴力」を、もっと掘り下げていきます。マクロ(大)からミクロ(小)へと考えを細分化していくんですね。すると、、、、「戦争や暴力」を掘り下げていくと、、、最終的には「欲」にたどり着くのではないかなーと思います。

「あの子だけあれをもっていてずるい、自分も欲しい」とか、これも欲ですよね。そして、子供であれば、横取りする、喧嘩する、、、という流れになることも多いですよね。そして、これを、逆にマクロにしていくと、「戦争」と同じ構図になるのではないかなーと思うわけです。

つまり、「戦争」の最小単位は「欲」になるのではないか、と管理人MOUは考えています。

しかし、「世界平和のために、「欲」をなくす」ようにする=戦争がなくなる」という構図は、だいぶ無理が出てしまいますよね。

なぜなら、人間の基礎的な欲求である三大欲求も、欲だからです。食欲、睡眠欲、性欲。

そうすると、「欲」「欲求」をなくす、というのは困難であると言えるのだと思います。


そこで、最小単位から1段上げると何になるのか?を次に考えてみます。

そうすると、、、「感情を交えた批判的吟味」になるのではないか、と考えています。

ここでのポイントは、「感情を交えた」という点です。

そもそも「批判的吟味(ひはんてきぎんみ)」というのは、人類が成長するにあたって、医療が進歩するにあたって、非常に重要です。この行為がなければ、現在の治療薬はおそらく開発されていなかったのではないかと思います。

しかし、感情を交えると、どうでしょうか?あの人は偉そうにしているからダメなんだ!とか、いつもサボってばかりいるからよくないとかなるわけです。主観が入ってしまうと、物事を客観的に見ることが途端にできなくなってしまいます。

そうです、それこそが、「世界平和のために自ら(個人)ができること」につながるのではないかと思うんです。

「感情を交えた批判的吟味」をしない事。

物事を見定めるときには、客観性を大事にすること、これが、現時点での管理人MOUのアクションです。


みなさんは、「世界平和」をどの様に捉えていますか?そして、どんなアクションができると考えますか?

今一度、考えてみると、素敵な発見があるかもしれません。

本日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

アロハ!!